アメリカ文化の歴史

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飢饉により、ドイツ国民、特に地方に住んでいるドイツ人がアメリカに渡った時、彼らはアイルランド人とは違い自分達の家族を連れて移住をしていった。その後、多くのドイツ人達は東部の町に留まったが、一部の農夫達は、木が無数に生い茂り、たくさんの湖が存在するアメリカ中央北部に移動していった。1862年になると、5年間ひとつの土地に定住していると、その土地の所有権を少量のお金で自動的に与えられるという”Homestead Act”が制定され、たくさんのドイツ人たちが移住していった。そしてその後、彼らはほぼドイツ人で構成され、何マイルにも及ぶコミュニティー”little Germanys”を設立した。

ドイツからの移民は、ニューヨークに楽団を作り、蒸留場を作り、公共教育施設の発展に協力したりするなど、アメリカの発展に大変大きく貢献した。しかしながら、20世紀中の2度の戦争により、ドイツ系アメリカ人は、自身達のコミュニティーを解散させられ、名前を変えさせられ、自分の血筋を公表する事を実質上不可能にさせた。しかし、アメリカ国内におけるユダヤ系ドイツ人の影響、特に経済的、商業的成功の影響は他の民族と比べて明らかに多大である。彼らはアメリカ大陸の西部に移住した後、移民者、牧童、探鉱者などに靴やジーンズを売り、財を成していった。

スカンディナビア半島諸国も大量の移民をアメリカに送った。1820年以前、スカンディナビアでは慣習により若者達は自分の農園を持つことが出来ず、中世式の同業者組合制度は若い職人達の繁栄を妨げていた。また1850年頃からスカンディナビア半島諸国の主要産業である林業が鉄の普及により衰退しており、多くの国民がギリギリの生活を送っていた。そんな中、アメリカ内で土地代が1エーカー1ドル25セントというニュースは多くの若者達の心を揺さぶり、その後1850年代後期頃から、多くの職人、農夫がアメリカに渡り、ミネソタやダコタ、その他北部地域に定住していった。また、この時期に同時に、スカンディナビアに住むモルモン人達が、宗教的迫害から逃れアメリカに移住していった。そしてその後、彼らは自分の名前を変え、しだいに母国語の使用を止めていった。そう、彼らは他の移民とは少し異なり、真のアメリカ人になることを求めていたのだった。

スカンディナビアからの移民たちはアメリカの発展に多大な影響を与えたが、19世紀後半になると、大量の若者を送ってしまう事は自国の国力を下げると多くの国で危惧され始めてきた。そこで、スカンディナビアの国々は改革を行い、大量の移民たちを自国に呼び戻し、自国の制度をアメリカ風の制度に変革しようとした。また、彼らはアメリカに使節団を送り、アメリカの技術を自国に取り入れようとした。その結果、彼らは国を発展させることに成功し、今では逆にアメリカがスカンディナビア諸国に使節団を送るまでになっている。

科学と音楽と猫が好きなScientistです。

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