アメリカ文化の歴史
アメリカ合衆国はいくつかの段階を踏みながら1776年に誕生した。最初のアメリカは海岸国家だったが、徐々に領土を西へと広げていった。領土確保が完了し、しばらくたった1830年には移民の波がアメリカに流れ込んできた。最初は自国の文化に固執する移民が多かったが、時が経つにつれひとつのアメリカ人という絆に収まるものが増えていった。19世紀のアメリカは主に原材料を輸出し加工品を輸入する貿易国だった。同時に、アメリカは船の空いた積荷スペースに奴隷を詰めて自国に持ち帰っていた。しかし、奴隷制が禁止されると彼らはそこにヨーロッパからの移民を詰めてきた。特に大量に運ばれた移民はアイルランドからの移民である。彼らは当時自国の貧困性、人口過密、また1846年に発生したジャガイモ飢饉に悩んでおり、アメリカに新たなるチャンスを求めてやってきたのだった。アイルランド人達は、ボストン、ニューヨークなどの港町で肉体労働者として働き始めたが、彼らはそこで強烈な差別に遭ってしまう。ところが彼らはそのような差別には屈しなかった。彼らはその優れた政治的能力と労働協議力を使い、アイルランド人の権利をアメリカの群衆に訴えていき自分達の立場を確立したのであった。そんな中、アイルランドとほぼ同時期に大量の移民をアメリカに送っていたのはドイツである。19世紀初期、ドイツは飢饉に加え、人口過密や不安定な経済状況、政局不安に悩んでいた。また、ドイツ人のビジネスマンのほとんどがユダヤ系であり、ドイツ内への定住には将来的に不安要素もあったのである。ドイツ国民の場合はアイルランド人とは違い自分達の家族を連れて移住をしていった。ドイツからの移民は、ニューヨークに楽団を作り、蒸留場を作り、公共教育施設の発展に協力したりするなど、アメリカの発展に大変大きく貢献した。一方、スカンディナビア半島諸国も大量の移民をアメリカに送った。1820年以前、スカンディナビアでは慣習により若者達は自分の農園を持つことが出来ず、中世式の同業者組合制度は若い職人達の繁栄を妨げていた。また1850年頃からスカンディナビア半島諸国の主要産業である林業が鉄の普及により衰退しており、多くの国民がギリギリの生活を送っていたのであった。スカンディナビアからの移民たちはアメリカの発展に多大な影響を与えた。しかしながら、19世紀後半になると、大量の若者を送ってしまう事は自国の国力を下げると多くの国で危惧され始めてきた。そこで、スカンディナビアの国々は改革を行い、大量の移民たちを自国に呼び戻し、自国の制度をアメリカ風の制度に変革し、自国を発展させた。アメリカ産業は南北戦争後に栄え始めたが、その時、アメリカはキューバを狙っていた。そこで彼らは世論を扇動し、キューバの敵国だったスペインとの戦争に踏み切り勝利した。その後のアメリカ経済はさらに発展し鉄道の必要性が重要視されてきた。そこで、アメリカは大量の移民様々な国から受け入れ、人材を確保していった。そこでは
人種の違いや宗教観の違いなどから混乱がしばしば起きたが、徐々に「アメリカ人」として同一化が普及していった。とは言え、アメリカは様々な民俗から自国の発展に寄与する恩恵を受けている。例えばユダヤ人からは主に教育面での影響を受け、イタリア人からは政治面で多大なる影響を受けていった。また、もともと金を求めてやってきた中国人は、アメリカでの困難に直面すると、洗濯業や労働者への仕出しなどの仕事を進んですることによってアメリカの発展を支えた。南北戦争中にセントラルパシフィック鉄道とユニオンパシフィック鉄道の建設によりアメリカ国内の人材が不足していた時は中国人移民の数は急上昇したが、1873年からは減少した。当時、国内を脅かした不景気の影響によりカルフォルニアの発展は終結し、何千人もの人が職を失った。この時、反中国人思想がとても強かったので大変多くの中国人が自国への帰国を余儀なくされたのである。この後は人種のバリエーションが豊かになっていく。中国人の後は日本人の移民がアメリカをにぎわせ、19世紀から20世紀の間にはカナダからの移民もアメリカにやってきた。さらに、アメリカ南部、特にメキシコからの移民の数も圧倒的であった。また、第二次世界大戦中にはプエルトリコからの移民が大量にアメリカにやってきた。さらに、ファシズム運動、共産主義運動が20世紀に渡り世界各国で立ち上がり始めたときはソビエト政権のロシア、そしてハンガリーを代表とするその支配国各国からは何千人とアメリカに助けを求め非難し、カストロ政権のキューバからも何千人と自国の暴君を恐れアメリカに逃げてきた。
1970年中盤には10万人以上もの避難民が南ベトナムからやって来た。これらの上記の移民全員がアメリカの経済を支え、変革させ、発展させていった。ところが一方、黒人は他の民族とは全く異なる形でアメリカ社会の発展に貢献していた。アメリカの歴史をざっとめくってみると、いかにアフロアメリカンがアメリカという布地に縫いこまれていたかがわかる。例えば、アフリカンアメリカン達がアメリカに残した遺産は音楽である。彼らが歌っていた、労働の厳しさ、彼ら自身の葛藤を体現した歌はその後も伝承され、アメリカ音楽の中に組み込まれていった。しかし、黒人たちが残したアメリカ発展への一番の貢献は彼ら自身の経験である。彼らは白人アメリカ人の支配により大変困難な生活を送っており、その経験は他の民族が経験したであろうものと同等、もしくはそれ以上にアメリカの歴史を築き上げてきたものであった。以上のように、アメリカを構成している人種は多種多様であるが、彼らは共通するのはアメリカに夢を求めてやってきたという事である。そんな彼らのおかげにより、アメリカ社会の成長の速度はヨーロッパのどこよりも早い。また、鉄道の誕生はこの速度を更に加速させ、1889年にはトーマス・アルバ・エジソンが科学の発展に貢献している。世界恐慌や第二次世界大戦などによってしばしば成長が遅れた時期もあるが、その後のフォード社による自動車産業の発展によってアメリカ社会はまた復活して成長していった。今ではアメリカは世界有数の経済大国である。これはすべて、上記に挙げたような様々なバックグラウンドを持つが「アメリカ人」という絆の下で一緒に戦ってきた移民達、奴隷達のおかげである。決してひとつの民族作り上げたものではない。