僕はここにいるけどここにいない。自分の存在って何だろう。悩んでいる人へ。
最近、人間関係で悩みが多くて参っている。
こちらとしては、精一杯丁寧に対応していたつもりだったのに、最終的に裏切られるという結末が多い。
もう、人生とはなんなのだろう。
自分という存在が揺らぎつつある気がする。
仏教的に自分を見つめる
僕はもともと仏教が大好きで、大学生の頃にそれ関連の本を読み漁った。
(今でも落ち込んだ時は座禅を組みに行っているよ)
長いこと仏教の世界に触れていて(もしくは単純に年をとったからか)、最近ようやく
色即是空(しきそくぜくう)
という仏教の根本概念を実感してきた。
今だから思う。
この言葉こそこの世の心理を表したものはないと思う。
色(しき)
は簡単に言えば、人間の肉体を含む物体全てや感覚の全て
空(くう)
は、何もないという意味。
すなわち
私たちの肉体や、感覚、感情なんてものは何もないんだ
と色即是空は言っています。
「え、でも俺(私)の肉体はここにあるし、今いろいろ考えているから、感情もここにあるじゃないか」
と思ったあなた。
正解です。
空(くう)の本当の意味は「何もないけど”ある”」
なんです。
例えば、あなたの肉体を考えてみましょう。
あなたの肉体は
水、炭素、酸素、水素、窒素、カルシウム、その他微量の原子で構成されています。
あなたはこれらの元素が”たまたま”集まってできただけであって、あなたという実態そのものがあるわけではありません。
また、あなたが悩んだり、楽しんだりとするのも、それは脳のシナプスの一時的な発火による物理現象であって、
悲しい
や
楽しい
という感情の実態があるわけではありません。
全ては一時的な”状態”であって、それそのものがあるわけではないのです(仏教用語でこれを特に仮和合(けわごう)とも言います)。
つまり
空
は、色を生み出す前の、果てしない大き世界とでもいうのでしょうか。
そこから、いろいろな物質が生まれ、そして壊れ、また空に戻っていくのです。
あなたの肉体も感情も全て、結局は幻なのです。
鋼の錬金術師はいい漫画だった
ちょっと話が逸れるのですが、荒川弘さんの「鋼の錬金術師」という漫画はかなりの名作だったと思います。
主人公のエドとアルが、亡くなったお母さんを”錬金術”という魔法のようなもので甦らそうとして、結果的にエドの腕と弟の体を失ってしまい、それを取り戻しに旅に出るという漫画です。
(詳しく知らない人は全巻読んでください。いい漫画なので。)
その中で、エドとアルの師匠であるイズミが二人に対してとある宿題を出します。
それは
「1は全、全は1」
という言葉の意味を考えろという宿題です。
作中では、錬金術を使っていろいろな物質を変化させて、武器にして敵と戦ったりしているのですが、結局それも物質を変換しただけの仮の姿、仏教でいう空なのです。
つまり、
1は色
全は空
と言い換えることができると思います。
子供の頃は、読んでいて何もしっくり来なかったけど、仏教の感覚が磨かれた(+単純に年をとった)今読み返すと、こんな深い内容だったのかと感心するばかりです。
ファンタジー漫画でこのような仏教的思想を出してきた荒川弘さんは本当にすごいと思います。
生物学的な色即是空
ちょっと前だけど話題になった、福岡伸一先生の
という本で面白い実験が紹介されています。
皆さんは、人間が食べた食物は一体どうなると思いますか?
普通は食べ物は胃で消化されてあとは排泄物になって全て出ていくと考えますよね?
でも実は違うんです。
マウス実験において、餌の成分を後に追跡できるようにした実験の結果、餌の成分がマウスの細胞の一部と入れ替わっていたことがわかったのです。
簡単に言えば、食べ物は単純にエネルギー源として消化されるだけでなく、自分たち生き物の体の一部と常に入れ替わっているということが科学的に明らかになっているのです。
するとどうでしょう。
色即是空に繋がらないでしょうか。
私たちの体は食べ物を摂取することによって、常に入れ替わっています。
つまり、今日朝ごはんを食べた瞬間に、昨日の自分ではなくなるのです(もちろんタイムラグはありますが)。
それは結局は
色
であり
空
でもあると言えるのではないでしょうか。
科学的なアプローチが古くからの仏教的な思想を支えた内容で当時は仏教界隈でもこの話は盛り上がったようです。
結局何が言いたいの?
つらつら書いていきましたが、結局何が言いたかったのかというと、正直特に何も主張はありません。
だって、この文章も色であり、空でもあるのです。
どのように感じていただいても結構です。
皆さんが考えることそれぞれが、僕の文章を通して生まれた色です。
仏教用語で、色が生まれるのは何かと何かが出会って「縁起」が起こったからだとされています。
そう、「ご縁」とか、「縁起がいい」という言葉は仏教用語だったんですね。
少しでも、この文章でいいご縁が生まれたら幸いです。