アメリカ文化の歴史

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19世紀当時のアメリカ合衆国の主流の外国貿易は、自国で採集された木材やコットンなどの資材をヨーロッパ諸国などに輸出し、家具や布、タバコなどの製品化されたものを輸入する、今とは全く形態が異なるものだった。1815年以降、工業化の進んだアメリカは大西洋周辺での主要貿易国になり、その輸出量を急速に増大していった。しかしながら、商業船の積荷量が増えるほど、自国に戻るときの貨物室の空きスペースが顕著になってきてしまった。1808年になるまでは、多くの船長達がその空きスペースに奴隷を積んで出航していたが、その年に奴隷制度が法律で禁止されたので、彼らは他の手段を使うことを強いられた。そこで、彼らはそこにヨーロッパから自国へ向かう移民達を詰め出航することでこの問題を解決しようとした。

最初、アメリカに大量の移民を送った国はアイルランドだった。当時のアイルランドはその狭い国土面積には相応しない多量の国民を抱えており、土地、資材、働き口などが全ての国民を養うにはかなり不足していた。そのような状況の中で、アイルランドの国民、特に若者達が、仕事をこちらよりは見つけることが出来るであろう新たなる土地 ”アメリカ” に大変魅力を感じ、大西洋を渡って行ったのである。

特に大量の移民を惹き付けたのはエリー運河建設事業だった。ハドソン川からエリー湖までを繋ぎ、五大湖と大西洋の間の舟運を可能にしたこの大事業の1日あたりの賃金は1人50セントから1ドルだった。この果てしなく低い賃金にも関わらず、大変多くのアイルランド人が海を渡って行った。そして事業が完結した1825年には2万人ものアイルランド人がアメリカに移住してきており、1832年にはその数は6万5千人まで上昇した。これらの移民者達によって、先に述べた貨物室の空きスペースの問題はほぼ解決し、同時にアイルランド内の人口問題と失業者問題は、解決とまではいかなくとも、一時的に軽減されたのである。

 

参考文献

Wedding of the Waters: The Erie Canal and the Making of a Great Nation」 Peter L. Bernstein, W.W. Norton

京都在住の科学系なんでもブロガーかつRubyistです。
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