アメリカ文化の歴史

今回の記事が面白かった・役に立ったら是非シェアをお願いします

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

1829年、ドイツでは主要作物であるジャガイモに病気が発生していた。ジャガイモは16世紀にスペイン人の探索者によってヨーロッパに持ち込まれた後、ドイツだけではなくアイルランドでも主食になっていたような大切な作物だった。1844年には北アメリカもその病気の影響を受け始めており、そしてその一年後にはヨーロッパ全土に蔓延した。1846年には、アイルランド全域の穀物すべてを死なせ、前年の飢饉による食糧不足も手伝って、何千という単位の人間が餓死するという状態に至った。このような状況により約250万人ものアイルランド人がアメリカに移住をしていった。

アイルランド人達はボストン、ニューヨークなどの港町で肉体労働者として働き始めた。決して給料は高くはなく、アメリカ人の所得よりはるかに低いものだったが、それでも彼らは今日を凌げるだけで満足だった。しかしながら、彼らをよく思ってない人達がいた。そう、現地のアメリカ人である。アイルランド人がアメリカ人よりもはるかに安い賃金で働くようになったので、雇用者たちは進んで彼らを雇っていったのである。その結果、アメリカ人達の職までもが奪われてしまったのである。このような事態により、多くのアイルランド人が差別を受け、町の至る所に「No Irish Need Apply」と書かれた看板や広告が躍った。

しかし、彼らはそのような差別には屈しなかった。彼らはその優れた政治的能力と労働協議力を使い、アイルランド人の権利をアメリカの群衆に訴えていったのである。例えば、アメリカ東部の都市にはアイルランド人により重要な選挙区が設立され、ニューヨークやボストンは、19世紀から20世紀初期に亘るまでアイルランド人に支配された。また、1960年には、アイルランド人の血筋を持つジョン・F・ケネディがアメリカ合衆国大統領の座まで登りつめた。その時には彼らの力は強大であり、もうアメリカ国内でアイルランド人差別という思想はほぼ消え失せていた。

アイルランドとほぼ同時期に大量の移民をアメリカに送っていたのはドイツである。19世紀初期、ドイツは飢饉に加え、人口過密や不安定な経済状況、政局不安に悩んでいた。また、ドイツ人のビジネスマンのほとんどがユダヤ系であり、ドイツ内への定住には将来的に不安要素もあった。そんな中、たくさんの農夫や職人、商人がアメリカ、特にアメリカ中西部に渡っていったのである。一方、アメリカは大量にドイツ人を受け入れるにつれ、ドイツとの貿易も盛んにしていった。綿花をドイツに大量に輸出し、ドイツ製の布地を手に入れた。アメリカのタバコは、他のどこの国ではなく、ドイツで大量に消費されていったのであった。

科学と音楽と猫が好きなScientistです。

今回の記事が面白かった・役に立ったら是非シェアをお願いします

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローしていただければ最新記事情報をお知らせいたします。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*